いえね、最近地元近くの高校で自殺があったとの事で…
最近この手が多いのは何故でしょうか?今までは唯隠れていただけなんですかね。
友人談ではありますが、なにやら止めようとした先生の前で飛び降りてしまったの事…
…その先生には一生消える事の無い傷が刻まれた事でしょう。自分だったらきっと耐えられないと思います。精神的に回復するとしても絶対時間がかかるかと
自分はいじめた経験もいじめられた経験もあるので、どちらの心境もわかるつもりではあります。酷かったのはやっぱり中学校のときだった気がしますね…思春期の不安定な感情って今でもよくわかりません。
いじめる側の意識としては、なんとなく”ムカつくから”ってのがあると思います。(自分もこれだった)あとやっぱり”孤立したくないから”ってのもある。今思うと何故あれだけ集団行動にこだわっていたんでしょう?1人は恐い。だから別に嫌いでもないけど、みんなに合わせて「右向け右」。すっごく他人の目が気になってた気がします。
いじめられる側としてはホント些細な事でも『もしかして無視されてる?』とか気付き始めると、どんどん小さな傷がついていくもんです。自分では何が気に触ったのかさえわからなかったり、でわからずにとりあえず謝るとその態度が気に食わないとか…そうやってだんだん自分の言葉にしても全てが否定的に取られてしまうと、もう何もできなくなります。喋る事さえ極端に…ですっごく悲しく胸が痛くなりました。自分の行動全てに自信が持てなくなり、いつもビクビク何かされやしないかと怯えました。
極論的に死にたいと思った事もありましたが、死の恐怖がそれ以上に恐かったです。死んだらどうなるんだろう、痛いのは嫌だ、でも精神的に辛い、死んだら楽なのだろうか、でもどうやって…堂々巡りの繰り返し。死を考えると真っ暗の本当に何も見えない世界に飲み込まれました。その何も無い音も無い世界は本当に恐怖だと…自分は死=楽になれるとは考えがつかなかったのです。何より痛みは嫌いですから。死ぬ勇気は(勇気なんかじゃないと思うが)ありません、ほんとうにチキン野郎です。
なにより、家族の事を考えるとできませんでした。死んでしまったら自分は良いとしても、家族は?事故とか病気ではないんですよ、自分で命を絶つのですよ、きっと悲しむでしょう。どうしてと嘆くだろう。そして一生心の重荷になってしまうと思うんです。きっと心からの笑顔が家族から消えてなくなる…そう思います。
愛してくれた残された人の心には薄れてしまう事があっても、消えずに残るとおもうんです。
そして、自分はいじめてる奴らのためになんで自分が死ななきゃならんのだ!あり得ない。死ぬのはお前らだろ!って憤りを感じました。だから耐えようと、これからの人生を今潰したくない。しかもいじめてくる奴らの為になんか絶対死なない。お前らなんか自分の人生に何の関係もないんだ。無視するならすれば?と開き直り。
自分は全然強くないです。むしろ脆い。意地はって強気に見せてました。背伸びをしました。一人でいる事を選びました。…でもわかってくれる人もいるんです。優しく声かけてくれる人だっています。それで自分は救われました。ホントにありがとう。
とまぁ自経験を語ったんですが、これは自分のいじめが物理的に酷くなかったから回復したんだろ。と思われても仕方ないです。暴力はありませんでしたから。言葉の暴力ですけどね…”いじめ”と言う単語、これ本当に軽い感じしませんか?本当は精神的外傷みたいなモノでもあると思うんですけど…本当にいじめは暴力だと思います。
あと新聞とかで偉い人とかカウンセラーの人とかが、いじめ被害者の人に対してのコメントとか載ってるの見るんですが、『じゃあ貴方は実際いじめられたことがあるんですか?』って聞きたくなります。いやそれ見て気楽になる人がいれば、全然いいんですが。『貴方は自分の受けた仕打ち、それに対して自分がどう傷ついたか知らないのに、どうしてそんなことが言えるんだ。』と思ってしまうタイプなので…
未来にいい事があるなんてひとつも確証はできないし、断定できませんし。
でも自分は卒業後いろんないい人に出逢いました。いじめられたこと今でも思い返すと嫌な気分になりますが、それでもそんなこと忘れさせてくれる友人がいます。いまでも一緒に遊ぶ仲間です。もちろんずっと続いてる人もいます。そんな仲間に出逢えて生きていてよかったなと、恵まれたなと思います。
そして、家族はやっぱり大事です。なによりも
どうあれど自殺は選択してはいけないものだと思うんです。
我慢しなさい。なんて無理です。わかってます。
でも自殺は…絶対してはいけないと思います。
長文失礼致しました。
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